新!沖縄伝統茶さんぴん花茶/花の香り、いっそう際立つ これまでの2倍の花の量で香りづけした「香り茶葉」を新たにブレンド。「新・スッキリ花香製法」で美味しさを磨きました。

一口飲むと、ジャスミンの爽やかな花の
香りがふわりと広がるさんぴん茶。
昔から沖縄の家庭で愉しまれている、
うちなーんちゅに愛されてきたお茶です。

さんぴん
花茶とは

ジャスミンのつぼみを摘み採り
香りとともに開き出す花で、
緑茶に香り付けしたさんぴん茶葉。
それを急須で淹れるように
ゆっくり抽出することで
心地よい香りの
「さんぴん花茶」は生まれます。

いっそう香り立つ
心はなやぐ味わい

お茶の味わいがしっかり感じられる“味わい茶葉”をベースに、花の香りを高める“香り茶葉”を新たにブレンドすることで、心地よい花の香りを高めました。
さらに“新・スッキリ花香製法”により、さんぴん茶らしい味わいはそのままに、現代の嗜好に合わせ、スッキリ心地よい花香との調和を実現しています。

花開く瞬間の
一番の香りを
茶葉にゆっくりと
閉じ込めて

夜になると、つぼみがそっと開き始めるジャスミンの花。さんぴん花茶は、一輪一輪ていねいに摘み採った24時間以内の花で香りづけした茶葉を使用し、香りを引き出す温度で急須で入れるように抽出しています。

世界初の無糖茶飲料「缶入りウーロン茶」を発売したのは伊藤園です。その後1985年には現在の「お~いお茶」の前身となる「缶入り煎茶」、さらに「缶入りジャスミン茶」を発売。お茶屋としてスタートし、無糖茶飲料市場を創造してきた伊藤園グループの製造技術力と原料調達力が「さんぴん花茶」の品質の高さにも繋がっています。

さんぴん茶
のこと

ジャスミンの花の香りを付けたお茶を
沖縄ではさんぴん茶と呼びます。
琉球王国時代に中国から伝わり
沖縄で古くからずっと
親しまれてきたお茶です。

中国との交易によって
琉球王国に伝えられたお茶

琉球王国時代に諸外国との交易で琉球にもたらされたものの中で、王府だけでなく一般の人々の暮らしにまで根づいたのが、さんぴん茶。中国の華北(北京)で「香片(シャンピエン)」と呼ばれていたのが「さんぴん」として沖縄に伝わったと言われています。「ジャスミン」はもともと、ペルシャ語やサンスクリット語で「神様からの贈り物」を表す言葉。誰からも愛されるお茶にふさわしい由来があるのです。

もこもこの泡が特徴の
ブクブク茶にもさんぴん茶

沖縄独特のお茶である「ブクブク茶」は、もとは船出や旅立ちの祝いの席でたてられるおめでたいお茶でした。煎ったお米を煮出したお湯と、さんぴん茶、番茶を大きな茶碗で泡立てて淹れます。口の周りについても気にせず、泡をなめるようにして飲みながら、香ばしさと爽やかさを愉しむお茶です。

暮らしと
お茶

古くから沖縄で親しまれてきた
さんぴん茶を通して
沖縄の気候と生活習慣の関係、
そして、文化まで
さまざまなストーリーが
垣間見えるのです。

沖縄のゆったり時間の秘訣
十時茶と三時茶

沖縄には昔から午前10 時と午後3時には、ひと休みする習慣があります。この時間のお供になるのは、黒糖やサーターアンダギーなどのおやつと、さんぴん茶。職場や家庭でおしゃべりしながら、飲んだり食べたり。この何気ない時間が、からだも心もゆったりと休めてくれるのです。

お湯を何度も注ぎ足しながら
飲むのがさんぴん茶

日本茶とさんぴん茶の飲み方でもっとも違うのが淹れ方。日本茶は茶葉を一回ごとに替えますが、さんぴん茶は急須や大きなやかんに何度もお湯を注ぎ足して飲むのが一般的。いつでもさんぴん茶の入った急須が食卓に置かれ「茶グヮー飲みなさい」と言いながらゆんたくの時間を楽しむのも、沖縄らしい風景の一つです。

「さんぴん花茶」ブランドの
売上の一部を
首里城基金へ寄付しています
沖縄伝統茶であるさんぴん茶を通じて、
沖縄の歴史文化を象徴する貴重な文化遺産である首里城や
美術工芸品等の収集・復元・保存していく事業に
お役立ていただいております。
歴史ある沖縄の文化を紡いでいきたい

お茶を通して、
首里城復興を応援する

首里城の復興に携わり、
伝統を未来へ継承していく人たちを
沖縄伝統茶である
さんぴん花茶は応援しています。
日々のお茶時間を通して
沖縄の文化を紡ぐ想いを紹介します。

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首里城復興を支える人のインタビュー

首里城を象徴する本物の“赤”を再現するために

幸喜 淳 さん
(一財)沖縄美ら島財団
琉球文化財研究室 室長

民俗学を専門分野とし、沖縄国際大学大学院修士課程終了後、沖縄県教育庁、公文書館職員を経て現職。沖縄の村落風水や工芸品の研究のほか、琉球産の弁柄の調査を進め赤色の再現に尽力。

かつての首里城の姿に近い
復元を目指して

私は沖縄美ら島財団の研究室に所属して、琉球王国の工芸品や庶民の生活に関わる内容を専門に研究しています。その一つに、琉球王国時代に使われていた塗料の調査研究がありますが、これが平成18年から始まった首里城の塗り直しに役立てられていたんですね。古い文献を探して、塗料の種類、仕入れ先や製造元を探すなどの作業を進めていました。

首里城を彩った赤色を
各地で探し求めて

当初の計画ではかつての首里城の赤色に近づけるために少しずつ塗料を試す予定でしたが、火災が起き、復元のために未解明だった部分の研究も急ピッチで進めることになったんです。その中で、塗料の原料には沖縄の自然由来の成分が使われていたと分かり、その成分の採取から塗料への加工、塗装までを何度も繰り返し、かつての赤を探ったんです。

試行錯誤の連続の合間に
おなじみのお茶で一息

首里城の赤色は、火災前に見ていた色とは少し違うと研究の中で分かり、関係者で本当に試行錯誤して今回の赤色を生み出したので、公開時の反応が楽しみです。仕事で行き詰まった時は、さんぴん茶を飲む時間には安らぎをもらっています。小さな頃によくお使いで買いに行ったお茶ですし、県民にとっては親しみがあって飲むと安心できるものですよね。

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首里城復興を支える人のインタビュー

生まれ育った沖縄を多くの人に伝える仕事に誇りと喜びを感じて

金城みどり さん
(一財)沖縄美ら島財団
首里城公園解説員

那覇市首里出身。首里城公園の売店販売員として働き始め、その後、解説員に応募し「沖縄の歴史を伝える仕事をしたい」という夢を実現。お客様と首里城の魅力を共有することを心から楽しむ。

留学を通して気づいた
郷土の歴史を知りたい気持ち

首里城で働くことを決めたのは、海外留学をした時に、沖縄の歴史を全然知らないことに気づいたからなんです。自分の生まれ育った場所の歴史をきちんと自分の言葉で伝えられるようになりたいと、解説員を目指しました。3ヶ月の研修では知識の習得とガイドの実地訓練を受けて、いよいよお客様の前に出ることになった時はやはり緊張感がありました。

首里城火災とコロナ
先が見えない日々を迎えて

実は私が解説員になってすぐに首里城火災があったんです。火災前日、最後のお客様をお見送りし、東のアザナから首里城正殿を眺めたのをよく覚えています。まさか翌日にその姿が見られなくなるとは夢にも思わずに。しかもその後はコロナが大流行。しばらく解説員の仕事はできませんでした。だからこそ、今お客様と会えることがとても嬉しいです。

今の仕事にも活きる
おばぁと過ごしたお茶の時間

解説員をしていると、沖縄の風習についても質問いただきますが、そこで「小さい頃はおばぁが家でいつも沸かしてくれて一緒に飲んでいましたよ」と実体験を話すととても喜ばれます。自分にとっては当たり前の、何気ない日常が今の仕事に役立てられることはとても嬉しいです。うちなーんちゅだからできる案内を、今後もしていきたいですね。

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